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石積み擁壁のルーツ |
このように我が国には、石垣という素晴らしい伝統を持っているのですが、昨今の擁壁は、このような伝統は忘れ去され、斜面の多い我が日本では開発という名のもとに土地造成がなされ、平坦な土地を有効に確保するスペースとして傾斜地に石積みの擁壁が数多く造られるようになりました。 「城郭」の造られた時代は、建物と一体で考えられていましたが、建築の専門分野の立場から、現在の擁壁を造る課程・構成をみると… |
石垣を含めて擁壁を築造する工事は、当時から 土木専門の技術者が担当となっていると言えます。 建築 と 土木の明確な区分が一般的に非常にわかりづらいかと思いますが、建築専門分野の関係者としては、土木の工事には 任せっきりであまり関与していない…できていない…というのが実情だと思っています。 だから宅地造成等は建築計画に造形的な不合理がおこりやすいように思います。 |
−日本特有文化の石垣−
いっけん読みづらい 『間地石』 ※「ケンチイシ」 と読みます この間知石積が日本独特の石垣として発展・普及したのには訳があります。 日本の建築は古来木構造として「木の文化」で発展してきたために、建築とは全く別の技術分野で石造りの構造が発達してきた事が最大の要因だと推測しています。 海外旅行に行かれた事がある方はお気づきでしょうが西洋の建築は石造・レンガ積などの組積構造が主体です。 日本では建築材料としての石は応用的に使われていたので、基礎については、安定度の高い石が多用されていましたが、 |
間知石(けんちいし)の用語由来もともと日本の尺度である1間(けん)(約1.8m)の間に6個の石を使用したことからきています。上からの重量で壁面を支える為に控え部分を長く(=胴長)したものを間知石へと発展させたものと考えられていて、これは我が国独特の石垣構成法なのです。 |
歴史に残っている 「地名の由来」
日本で石積みの由来に ちなんで、現在では あまり使われなくなってしまった
本来の『地名』が、日本各地に数多くある事をご存知でしょうか…
これは、その地域の持つ本当の地質特性を表していた事が多いものです。
何故なら… 過去にも多くの犠牲者の出るような土砂災害があっても、その伝承は伝わりにくく、これを後世に伝えようと 地名に記憶を託して促したものなのです。
地名はその土地の地形等の事前条件を表すものが多く、
現在でも使われている一例として・・・ 東京では谷間に位置する「渋谷」
文字とおりの由来「溜池」そして、前福寺川沿いのくぼ地に由来する「荻窪」
高知県では地すべり地の「怒田」(ぬた) 石川県の「千枚田」
地すべり移動して水が濁った事で「濁沢」
天草豪雨災害の地すべりが起こった経験が地名として伝わった可能性のある「荒平」
しかし、こうして先人から伝承された 特性を示す地名であってもが、土地のイメージ・価値として そぐわない…などとして、変えられてしまった地域もあります。
地名の共通語と綴った『日本地名基礎辞典』を参考にしてみると、地質・地形・流水・河川水 などの状況から由来の判るものがあります。
古くから言い伝えられた「地名」は、地形や地理的条件に由来したものが多い事がわかっており、その 古くから残されている「地名」をたどれば、その地形の地盤の状況を推測する事も可能かもしれません。